私は生きている限り『祈っているだけでは救われない』というか『救われ感を実感することはできない』と考えています(悟っている場合は別でしょうが)。
祈りが効くとしたならば、おそらく『あの世』に行ってからだと思います。従いまして、『救われ感を実感することはできない』祈りを四六時中祈っている人は行者は別として、通常はいませんし、いたとしたならば(私もそうでしたが)かなりのレアケースです。
おそらく、皆様は『なぜ、途中でやめなかったのか?』と思われるでしょうね?祈り続けたのは、私の性格と『救われ感を実感したい』という気持ちとがなさしめた壮大な(させられた)修行なんだと思います。
結論的に言えば、祈ってわかったことは『祈っていただけでは今生では救われない』ということです。