2023年3月18日土曜日

祈っているだけでは救われない①

 皆さんこんにちは。私は『マックス』といいます。ある思いから、およそ34年にわたって『五井先生(五井昌久氏)』が提唱した『世界平和の祈り』を祈り続けてまいりました。一時は懐疑的になりながらも現在でも折に触れ祈っております。

この『世界平和の祈り』の文言は素晴らしく、その内容は誰しも否定できないところです。私もその内容の素晴らしさから、ほぼ四六時中祈ってまいりました。

この間、法律系の事務所を開業して現在でも続けております。また、最近では司法書士の資格も取得しそれに関連する業務も開始いたしました。

ここまで聞いた皆様は『世界平和の祈りのおかげで順調にやって来た事を自慢したいに違いない』と感じているかもしれません。しかし、それは違います。それどころか、経済的にも、その他いろいろな面において苦難がズーっと続いております。ただただ、頑張って(というか自分的にはこれしかやれないので)今日まで来た、と言うことなのです。

さて、本題ですが、私のこれまでの人生において『世界平和の祈り』が果たした効果はいかなるものなんでしょうか?

率直言えば、『何とか地獄に落ちないですんだ』と言うことなのです。私自身一時はかなりの努力をしてまいりましたので、それなりの業務展開があってしかるべきだとも思いました。しかし、結果は『細々と業務を続けてきた』だけなのです。今後の展開はいまだ見通せませんが・・・

五井先生は生前『世界平和の祈りを祈っていれば困り切ることはない』と言われましたが、『困り切る寸前』でした。しかも、『世界平和の祈り』=『心の平穏』という感じでもありませんでした。この点は今も不思議です。

それでは、『なぜ、まだ祈っているのか』と申しますと、何か雑念や余計なことを考え始めた時の『気の転換』になるからです。


『自分は何もできない』からこそ『救われる』

  よく『自己肯定感』と言うことについて言及する人がいますね。これが高いと『困難なことがあっても割と簡単に乗り切ることが出来る』とか『幸福感を感じやすく、生活全般が楽しくなる』とかの効能を謳っています。そして、『どうしたら自己肯定感を高めることが出来るのか?』という書籍も数多く出...