不思議な教え?

 ある人が厳しい修行の結果、ある境地を掴み、『人類を幸せにする方法』を『神』から授かったとします。しかし、その方法は『自分自身が用いた修行方法とは全く無関係のものでした』。この場合、果たして、『その人』が提唱する『人類を幸せにする方法』を実践した場合、私たちは幸せになれるでしょうか?

『その人』はなれると言いますが、私は、なれるとは思いません。なぜならば、その方法を、『その人』自身が試してはいないからです。『その人』がその方法を提唱する段階で『一般人としての配慮』が働いてしまっているからです。確かに、普通の人には厳しい修行は耐えられません。しかし、そうだからと言って、『一般人としての配慮』が施されている『人類を幸せにする方法』は、あくまで『その人、個人の主観が入った想像的なもの』でしか過ぎないのです。

人間は人間である以上、その判断には『人間的なものが常に付きまといます』。簡単に言えば、『その人』も人間である以上『どんな人がどのように行っても救われる客観的で絶対的な方法』を提示することはできません。それは人間の能力を超えています。そんなものがあったなら、この世はとっくに平和になっていますね。