『見えない規範』を打ち砕く②

 前回、『モーセの十戒』の1つである『姦淫(不倫、婚外性交渉)してはならない』について触れ、さらに聖書では、それを超えて『心の中での姦淫までいけない』という教えを説いていることにつて述べました。

ここで、例えば『中小企業の社長Aさんがいるとします。彼の会社は町工場の零細企業でありながら、社長以下、従業員の努力によって、NASA(アメリカ航空宇宙局)が使用する精密な部品を開発。利益は少ないものの従業員の給料が少しでも多くなるように頑張っている人物です。しかも、納税に際しても脱税的な手法はしない高潔な生き方をしています。でも、彼は経営的なプレッシャーがかかると唯一の逃げ場として、心の中で好きな女性を姦淫してしまうという性癖がありました』。他方、『大企業の社長Bは、聖書の教えを守り、心の中で姦淫してしまうことは絶対にしませんでした。しかし、そのストレスからか、従業員にパワハラ、セクハラをするだけではもの足らず、強引に企業の利益を拡大するために、公務員に多額な賄賂を提供し、不正に有名スポーツ大会の協賛企業の地位を獲得していました』。

上記2者を比較した場合、果たして『Aは地獄に落ちBは天国に行けると言えるのでしょうか?』…。人間の価値はトータルで判断されるべきで『宗教上の教えを守ったか否かは1つの材料にすぎません』。人を脅かすために『地獄に落ちる』という人がいますが、『あなたこそ地獄行きだ』と私は思います。

以上のような『人を恐怖におとしいれる見えない規範』を打ち砕くためにも『延命十区観音経の読経』が有効であると考えます。