『歎異抄』的な考え方は現実生活に有効に機能するか?①

 『歎異抄(たんにしょう)』とは、鎌倉時代の後期に書かれた日本の仏教書で、作者は、浄土真宗の宗祖『親鸞(しんらん)』(1173年~1263年)の直弟子『(河和田の)唯円(ゆいえん)』です。その成立の経緯についてはおいて置くとして、その内容は『専修念仏(浄土に往生するため、念仏以外の行をまじえず、〈南無阿弥陀仏〉とただひたすら念仏を唱えること)』に対する異端的な立場を戒めつつ、親鸞の教えが明快に記されています。有名な『悪人正機説(自分は悪人であると自覚した者こそが阿弥陀仏の救済の対象であるという考え方)』も同書に書かれています。

ところで、この『歎異抄』で一番重要な教えとは何だと思われますか?それは、『真名序(親鸞が直接、唯円に語ったとされる言葉が書かれている部分)』の第1条の前段の『〈弥陀の誓願不思議に助けまいらせて往生をば遂ぐるなり〉と信じて〈念仏申さん〉と思い立つ心の起こるとき、すなわち、摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり』という部分です。

以上を現代語で分かりやすく表現すると『阿弥陀仏のすべてを救うという本願により、浄土に生まれさせてもらうために〈念仏をしようと思った時〉から阿弥陀仏の絶対に見捨てないとの利益にあずかることができる』ということになります。ここで特に重要なのは、『(まだ念仏をしていなくても)念仏をしようと思った時』という箇所です。これは何を意味するのかと言えば、『仏にすがる心がある者は(念仏をまだしていなくても、しようと思ったその瞬間に)既に救われている』ということなのです。これは『他力』という概念を把握するうえで非常に有益な考え方ですね。