『歎異抄』的な考え方は現実生活に有効に機能するか?②

 『阿弥陀仏の本願を信じて、念仏を唱えようと思ったその瞬間に救われる』という『親鸞』の考え方はとても魅力的であり、私もその通りだと思います。しかし、救われの内容は『(極楽)浄土に生まれる(浄土のど真ん中に行く)』というものであり、『現実生活の向上』『困難打開』ということではないのです。いくら『浄土行のプラチナチケット』を手に入れたところで、重い病は改善しませんし、職場でのパワハラ、セクハラ、学校でのいじめ、経済的な困窮等の問題にも無力です。『いずれ浄土に行けるんだからそれまで我慢しなさい』と言われて『わかりました』と即答できる人は浄土宗、浄土真宗系の僧侶だけでしょう。現実社会で生活する人間にとって『平穏な日々』は、かけがえのないものです。それに少しでも近づくためには、『他力的な祈り以外の何らかの方法』が必須です。それに対応しうる安全な方法が『延命十区観音経の読経』なのです。他力的な祈りは『死ぬ1分前まで封印』していても構わないと思います(既に救われているのだから…)。