『祈り』は念力?

既に説明したとおり、『祈り』とは、宗教によって多少意味が異なりますが、概ね『世界の平和や他者への思いを願いこめること』をいいます。これだけ聞くと何か崇高で称賛されるべき行為であるように思われます。実は私もそう思って日々間断なく34年以上祈ってまいりました。しかし、『気の転換以上の効果が全くない』ばかりか、およそ15年前から夜『うなされる』ようになってしまいました。当初は特段気にすることもなく『夢で悪い運命を消してくれている』と単純に考えていました(実はそのような考え方もあるんです)。しかし、いつまでたっても改善することなくその後も、つい最近までその状態が続きました。これが、『祈り』に不信感を抱いた最大の理由です。『自分の生活になんら精神的、肉体的、経済的なプラスの影響がない』のは致し方ないとしても『うなされる』とは……。

実は、夜『うなされる』のは自分の『祈りの思い(念)』によって『(その正体はわかりませんが)あるもの』を引き寄せているからです。その証拠に祈りを辞めてからは一度たりとも『うなされる』ことはなくなりました。これは自分にとって衝撃の事実でした。良かれと思って祈ったところ『効果が全くない』どころか『うなされる』というマイナス効果のオマケまで付いていたのです。何度も言いますが、これはおそらく『あらゆる祈り』に共通しています。嘘だと思う人は、御自分が信頼できると考える宗教の祈り言葉を間断なく祈ってみて下さい。必ず『うなされる』ようになります。

『祈りは崇高である』という人がいますが、私は『あなたはどの程度祈ってそう言っているんですか?』と逆に聞きたいですね。

ちなみに、『延命十区観音経』の読経には、以上のような『マイナス効果のオマケ』はありません。ご安心ください。